先日、大学の友人Nと食事をする機会があった。
同じジャズ研で一緒にバンドを組んでいた現在もプロのギタリストだ。
音楽の話にも花が咲く。
その会話の中で、Nに
「最近、ヴァン・ヘイレンのギタリスト、エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなったけど、彼ってそんなにすごいギタリストなの。あまりしっかりと聞いたことがないからいまいちよく分からないんだけど。」
「僕もそんなにはよく聞いていないからあまり分からないんですよ。エレキのギターの人だし。」
そう、Nはいつもアコースティックギターを弾く。
「じゃあ、上手いギタリストって誰かね。」
「そうですね、クラプトンとか。」
「クラプトンか。。。」
「あと、僕はやっぱりパコ・デルシアですかね。」
「ああ、パコ・デルシア。まさに納得。」
そんな会話の中、パコ・デルシアという名前を聞き、20年ほど前のパリ在住時に観た彼のコンサートがふわっと頭によみがえってきた。
あれは2002年ころだったと思う。
パリでパコ・デルシアのコンサートがあると知り、是非行かなくてはとチケットを取り心躍らせながら行ったものだ。
そこで彼のセクステットの演奏を目の当たりにし、その圧力に圧倒されてしまった。
ダンサーのホアキン・グリロがムンムンとしながら端でリズムを取り続け、ついに出番となり舞台中央で踊りだすと、その爆発的な熱気に身体が痺れた。
ひたすら、すごい。
その演奏が当時20代の私の心を鷲掴みにしたのは言うまでもない。
その後、数年で彼は一時活動を休止し2014年メキシコで66歳で急逝。
パリでの演奏が、私がパコを観た最初で最後となった。
パコ・デルシア=世界的なフラメンコギタリスト。
フラメンコの枠にとどまらずジャズやフュージョンの世界へと活動を広げていったフラメンコ界の革命児。
天才と評されるパコ。
彼はそう呼ばれる事に対し、天才というものより、少しの才能と絶え間ない努力を信ずると語っていた。
だからこそ、彼の演奏は派手なばかりで扇情的で薄っぺらいものでは決してない。
そこには何よりギターの一音一音の粒の存在感がある。
音の太さといった方がよいか。
つまるところ、ギターに限らず楽器はその音の太さが演者の腕の大きな基準となると思う。
パコは身体に響く音を奏でることができる数少ないギタリストだ。
そして、完璧なリズム。
乱れることのない完璧なリズムは、幼少期から鍛錬を重ねたうえで培われたものだろう。
音楽の基本は何と言ってもリズムだ。
この完璧なリズムもパコの真骨頂だ。
それだけではない。
パコの音楽が心を掴むのは、何より音を奏で紡ぎだされる「歌」にある。
別にパコが歌を歌うわけではない。
音の粒と完璧なリズムと共に、メロディー・旋律をギターが歌い上げるのだ。
派手さにべたつくこともなく、熱を帯びながらも熱ばかりに寄り添うこともなく、ひたすら剛直に歌い上げられる旋律が私たちの胸を強烈に揺さぶる。
熱風とともに、常に冷静な頭で演奏を俯瞰するかのような超人的なギタリスト。
まさにそこには「剛直なる熱情」が存在する。
だからこそ、パコのギターは心を掴んでやまないのだろう。
わたしは、彼以上のギタリストをいまだ知らない。
そんなパコ・デルシアのことを思いながらワインに思いをはせる。
やっぱりスペインワインか。
いや違う。
太陽の香りのするスペインワインではない。
もちろん、スペインにも複雑で素晴らしいワインは沢山ある。
でも、なんとなく違う。
ちょっと考えあぐねてしまった。
しかし、ワインとの出会いも不思議なもので、先日これだというワインを飲む機会を得た。
そのワインは「ギガル
コート・ロティ
ラランドンヌ 1981」
北ローヌの絶対的な生産者。
ギガルの最高キュベの「3兄弟」の一本。
芳醇な果実味で力強く、筋肉質で長期熟成する力を持っている。
熟成すると力強さは保ちつつも柔らかな果実味が官能を刺激する。
まさに「剛直なる熱情」を体現しているワイン。
もっと、華やかで派手なワインを選ぶのが常套かもしれない。
が、パコ・デルシアはそれだけの枠には収まりきらない。
芯がしっかりとあるこのラランドンヌの力こそふさわしい。
身体を痺れさせ心を震わせるワインが、私にはパコ・デルシアのギターに重なった。
そういえばN。
学生時代ギターの練習ばかりしていた記憶がある。
音も素晴らしく太い、クールでいて心の底に熱情を湛えているギタリスト。
しかも、なんとなく若いころのパコ・デルシアの雰囲気にそっくりだ。